ないものをねだるより、今あるもので戦うこと
稲村亜美、103キロ。棚橋弘至、91キロ。
始球式での球速である。
稲村亜美は野球経験が長いので棚橋との経験差があるにしろ、アイドルがプロレスラーよりも速い球を投げるとはとても驚いた。
そもそも91キロでも十分に速いのだが、棚橋よりも稲村亜美の方が速い球を投げるという事実。
筋肉量が多ければそれだけ力を出せるのは当然のことである。男の方が女よりも力が強いとかそういうことを言うつもりは全くないのだけれども、両者の身体つきを見れば違いは明らかだ。どう見たって、棚橋の方が強い。ごちゃごちゃ言ってるが棚橋は「親日のエース」である。強いに決まっている。
稲村亜美は野球経験が小学校から中学校までの9年間あるということなので、経験の面では棚橋を凌駕する。野球技術は稲村亜美の方が高い。
技術は、稲村。腕力は棚橋。
力まかせで投げれば棚橋の方が速い球を投げそうだ。しかし、アイドルの稲村の方が速かった。
つまり、結果を左右するのは物理的な力なのではなく、「持っている力をどう使うのか」なのだ。
決して恵まれた体格ではない選手が活躍することのあるスポーツでは特にそのことが言えると思うが、これはスポーツに限ったことではない。
人はときにないものねだりをする。ないものねだりをしてきたからこそ、日本はここまでの経済大国になったとも言えるのですべてがネガティブな要素だとも言い切れないのだけれども、ないものねだりには「無理なのにわがまま言うな」というニュアンスが含まれる。
基本的にお気楽な私もたまには悩むことがあるし、自分にはどうしようもならない出来事ばかりで気分が滅入ることもある。
なんでも解決できる魔法はないのかい、と心から思う。でも、そんなものはない。ないものねだりだ。
大切なのは、「持っているものをどう使うのか」という観点だ。
持っているものでなんとかしようとすることは、問題を客観視することにつながる。解決すべき問題そのものをすこし遠目で見る感覚になるのだ。
「今の自分にできること」をひねりだす過程で、今そこにある課題との向き合い方が徐々に明確になっていく。
いま、己が持っている力でどう戦うのか。
手持ちの力以上のものを求めても仕方がない。柔よく剛を制すのは、意外と楽しかったりもする。