せめてものグッバイ

問題解決のヒントを心理学で探るブログ

「言いたいことを言えなかった」のではなくて「言ったことは言いたかったこと」なのだ

普段仕事で堅い文章ばかり書いていてなんだかその延長上のテンションでブログを書いていたのだが、昨日のエントリでちょっとふっきれたというかなんというかよくわからないのだけれども少し自己陶酔するところがあって若干自分に引いた。

 

でもいいんですよ。なにが書いてあるかわからないブログでも言いたいことも言えないブログよりとりあえず言いたいことを言ってしまったほうがいいに決まってる。

 

昨日も書いたのだけれども、心理学とかマーケティングとかをつなげてまとめてみたいという動機から始まったこのブログではあるが結局意味など見いだせないまま文字を埋めるというひとりリラクゼーションになっている。そう、書くことこそが目的であり手段。

 

習慣化するためには、その行動を目的化すること。そうすると、意外と続くもので。だからこその「とりあえず始めてみるといいよ」っていうのはなんにでも効くんだなっていうのを実感してる。

 

ルールをつくってそれを守ることも目的化させる。そうするとね、人間て単純なもので癖になってくる。毎日ブログを書いていると書かないことが気持ちわるい、みたいなそんな感覚。

 

さて、こないだスタートアップの経営者に相談されたときにこんなことを言っていた。

 

「お客さんが私の新サービスを受け入れてくれなくて困ってる。みんなやらない理由ばかり言ってくるからつらい」んだって。

 

「それはご苦労が絶えませんね。でもいいサービスなんだからきっと受け入れられるはずですよ。そのためにはこうしたらいいのではないですか」

 

なんて話をしたんだけど、そしたらその経営者の人は、

 

「でも、それ私やりたくないんですよ」「そんなことするんだったら誰かにやってもらえばいいですよ」(意訳)なんて言っていてもうあれやこれやと「やらない理由」のオンパレードで。

 

あー、これはミラーニューロンだな、って。

 

優しい人ばかりの環境にいると自分も優しくなれる。

 

ほら、夫婦って似てくるでしょ。あれもきっとミラーニューロン。

 

もっとわかりやすく言うとヤ〇ザの人たちってみんな雰囲気一緒でしょ。 あれもきっとミラーニューロン。

 

自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。 他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。

 

とWiki先生がわかりやすく教えてくれたんだけど、つまり「自分がやらない理由を探してばかりだからあなたのクライアントさんはあなたのサービスに対してやらない理由をこれでもかと言ってくるんだよ」とふと感じてしまい、「あ、それあなたの営業先が言ってることと同じですね」と言い放った僕です。

 

で、結果としてその人がどう思ったのかはよくわからないのだけれど最後に「ガツンと殴られたみたいな衝撃です」なんて言っててそれを褒め言葉として受け取った僕の9割はおめでたい成分でできています。

 

お客さんからの相談なのでマイルドな物言いで持ち上げてもよかったかもしれない。でもさ、言葉を飲み込んでおべんちゃら言ってもね、お互いのためにならないものね。

 

僕の言葉をどう受け取るかは「相手の課題」なわけだし。言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン。

 

そんなことを考えるのは日頃から自分の言葉の意味に逡巡してしまう瞬間があるからというのは自分でもよくわかっていて、言葉を発したあとに吐き出した言葉を回収したい気持ちになることなんて数えきれない。「あー言っちゃったよ」って。だけどいつも言葉って不思議でもう戻ってこないんですよ。

 

だからなにかを言ったあとに後悔するのをやめるためには、オブラートに包むことを考えるんじゃなくて、

 

「言っちゃったことは言いたいことだったんだ」って因果を逆にして考えるのがいいんだって思った。

 

これ、ちょっと楽になるよ。

 

「それを言った」という行動はなにも変わらないし、変えられない。それが自分そのもの。だから言わなきゃいけないこともないし、言ってはいけないこともない。

 

言った、書いた。

 

今、「その言葉」を発したこと。その事実こそがあなた自身で僕自身なんです。

 

そんな話。